議員になる前をふり返って
私は45歳まで横須賀商工会議所青年部に所属しました。
多くの仲間達と商売の事や横須賀の将来を語り合いました。
私にとっての大きな肥料となった場所です。
その頃は、数えあげたらきりのないほど仲間達と議論し活動をしてきました。4代目の横須賀商工会議所青年部・部長や2代目の神奈川県連・会長なども経験させていただき、全国の仲間達と知り合う事で本当に多くのことを学びました。
「少年よ大志をいだけ」「義を見てせざるは勇なきなり」
そんな言葉を大切にしていたのもその頃が始まりだと思っています。
その中でたいへん印象的な2つの出来事を話して見たいと思います。
1つ目は、この横須賀で商工会議所青年部の全国大会を誘致した時の事です。1000人からなる全国の仲間を横須賀に呼び、語り合い勉強をしようと色々な企画を練りました。ちょうど横須賀プリンスホテルが完成をする予定でしたので、宿泊はそこにと言う計画でした。しかし、その全国大会にホテルの建設が間に合わないと言う情報が入り途方にくれました。
横浜のホテルをおさえようか、箱根に宿泊だけは移そうか。でも、どうしても自分達の横須賀を見てもらいたい。出来るだけ私達の町に長くいて欲しい。そんな気持を抑えきれない中で、一つのアイデアが提案されました。
横須賀は海の町、大型の観光船を港につけてそこでレセプションを行い、宿泊してもらえばいい。そう決定をしてからの私達仲間の行動は速かった。はしゃぎながら計画を進めたことを、今も昨日のように思いだす事ができます。
皆で考え、汗を流した忘れられない想い出です。もちろん結果は大成功でした。


もう一つの大切な想い出はゴジラのすべり台の建設です。
幼い頃、観音崎の多々良浜にあった「ゴジラのすべり台」。
ある時、青年部の後輩が横須賀の子供達に夢をもたせてあげたい…。
自分達のノスタルジィーをこの手で再現したい…。そんな強い想いを語り始めました。ちょうど私が県議会議員に立候補する年、平成7年2月の事でした。
「復活ゴジラのすべり台」委員会を発足し、東宝株式会社に著作権使用許可申請をし受諾をされ、FMブルー湘南に出演をしたり、ゴジラをインターネットで全国でPRしたり、ゴジラの写真展を久里浜商店街、三浦藤沢信用金庫、さいか屋で開催したりと本当に多くの方々の協力を得ながら、一歩一歩計画を進めていました。
そして、12万人余に及ぶ署名を集め要望書とともに神奈川県知事宛に提出をしましたが、環境との調和の観点から適当ではないという回答でした。
その後、紆余曲折がありましたが、当時の横須賀市の鳴海助役の調整で神奈川県と横須賀市で協議をし、結論としてゴジラの足跡の碑をあの多々良浜に、そしてゴジラのすべり台を横須賀「花の国」に建設をする事が出来ました。お金の工面も、ゴジラプレートと称して、多くの企業や市民の方々に募集をして集めました。後輩達のあのエネルギーと情熱を忘れる事が出来ません。
足かけ4年半、平成11年11月3日すべり台は完成しました。
私が県議会議2回目の当選を果たした年でした。
今も子供達があの「花の国ゴジラのすべり台」で楽しそうに遊んでいます。さまざまな事を仲間と共に考え活動してくることができた事は私の大きな肥料だと思っています。
いつも仲間達と一緒にやり遂げられた事を、心から誇りに思っています。